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懐かしい・・・レポート

↓ドイツの文化研究でむかーし書いたもの。たまたま見つけたので載せます。なんだかブログが大学のレポート特集みたいになってますが。↓

ベルリンの壁とは一体何だったのか。それは一つの国家を分断する文字通りの壁であるだけでなく同時に東ドイツの人々を囲む檻であり、世界中の人々にとってはある一つの象徴であったように思う。「絶対的に超えられない何か」という象徴、つまり資本主義国と社会主義国とが壁一枚(正確には2枚というべきかもしれない)を隔てて隣り合っているという異例の事態において、壁自体があたかもその2つの国の思想や経済を分断しているかのような、非常な威圧感を持っていたのではないだろうか。私の母がこう言ったのを覚えている。「ベルリンの壁が崩壊するとは思わなかった。あんなに簡単に壊されるなんて、テレビで見ても信じられない気持ちだった」と。
壁の崩壊時の映像では、その場に集まったすべての人々が歓喜している。私の東西統一の印象はその映像と重なり、「もともと一つの国なのだから、元通りになって良かった」「全ては良い方向に向かったのだ」と思い込んでいた。しかし後期の授業でこの問題を深く追求していくにつれてその背後や新たな問題が見えてくるようになった。例えば壁の崩壊後も東ドイツ市民が「開かれた社会主義の国」を目指していたことや、急激な統一に際して反対の声が多くあったことなどは知らなかったし、その危険性を考えたこともなかった。急速な形で西側の資本主義社会に吸収された旧東ドイツ市民は今までとはまったく異なる生活に戸惑い、Ostargyに陥る人々も出てきたというくらい旧東ドイツ市民のイデオロギーは不安定なものになったのだということを、私は授業で初めて知った。
『グッバイ・レーニン』というドイツ映画では、壁の崩壊前後の時期を中心に旧東ドイツ地区に住む人々の様子が描かれている。彼らは壁が崩壊したことで競争も経験する。かつて国家の英雄だった元宇宙飛行士はタクシー運転手をしている。自由になって得た物よりも失った物のほうが多く、突然の社会変革で成功者になったのはごく一部で、多くは成功の枠組みから取り残されてしまったことをこの作品は語っている。壁の崩壊後、コール首相が約束した生活は果たされることなく、経済格差は解消されないまま今も残ってしまった。ナチスを生んでしまったという自責の念、そして押し寄せる時代の波の中でドイツの人々が自らのアイデンティを保つことは容易ではなかっただろうと想像できる。
また、ネオナチを生んだ背景もこの東西ドイツの分裂と統一が大きく関わっている事を学習した。自国や自分たちの民族に誇りを持つことと極右思想は結びつきやすい。特に旧東地区に住む若者たちは社会的な混乱を経験し、世のあり方への不満や将来への不安を抱くようになった。そんな彼らが政府の保護下にある難民の生活を目の当たりにしたら、どう感じるだろうか。やりきれない思いが外国人排斥に繋がっていったという可能性は充分に考えられるだろう。西地区の若者にしても資本主義社会の矛盾や影が次第に浮き彫りになっていく中で、自らを見失う者も出てきたはずである。個人の内にある憤りをネオナチのように集団単位で行動することで解消しようとしているのかもしれない。極右思想に対しては、毅然とした態度で反対の意思を示さなくてはならないと私は思う。ナチスのような悲劇を繰り返さないためには、やはりその過去と向き合い、考えて行く必要があるのだ。「いつになったら私たちはナチスの過去を払拭できるのだ」というドイツの人々の気持ちもわかるのだが、ナチスはドイツだけでなく全世界にとって繰り返してはいけない歴史である。それを現在の私たちが深く理解し、教訓として生かすことに意味があるのではないだろうか。
人々の夢を分かち、数多くの犠牲者を出したベルリンの壁も時代とともに崩れ去った。「壁がなくなるんですか?」と聞いた外国人記者に対してシャボウスキーが答えた「そう思う」という短い言葉。その最期はあまりにあっけなかった。しかし私が今回学んでわかったことは、人々の心の奥底にはいまだに見えない壁が存在しているということだ。それはホーネッカーが演説で発した言葉にも明らかであり、だからこそ「ベルリンの壁」という言葉はこんなにも悲しく、重く心に突き刺さる。
by skintandminted | 2007-01-25 00:29 | school


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